「で。各委員会を見学する事になったと。」
「……はい。」
その日の夜、荷物を取りに土井先生の部屋を訪れた。
同室の山田先生も交えて、今日の出来事を聞いてもらった。2人は顔を見合わせてため息混じりに笑った。
「笑い事ではありませんよ。なんかもうその熱意が怖くて……」
「うちはなぜか委員会が盛り上がってるからなあ。」
「…与えられた仕事を積極的に取り組むのは良いと思いますが……って、山田先生、いつまで笑っているんですか。」
「ははは、すまんすまん。……いやー、まぁ、いいじゃないか。」
「……どういいのですか。」
私は口を尖らせた。
「全部の委員会を回るなら、多くの生徒と知り合える。もしかしたら学園長は、だからお前を委員会に入れると言い出したのかもしれん。」
山田先生は腕を組んで頷いた。
私は今の言葉に眉間に皺を寄せ、視線を伏せた。
「……何度も言いますが、私はここの人たちとは違う人間です。関わりを持つのに躊躇いを覚えます。」
ぎゅっと、膝に乗せた手を握った。
「それに……私はもう忍を続ける気はありません。だから…できるならば、ここにだって居たくないのに。」
「。」
「わかっています。追忍の手から逃れるのにここが一番安全だというのは。何度も伺いました。…ですが、朽ち葉ノ里は無くなりました。もう保護の必要はないはずです。」
私は言い放った。
そう、私はすすんでこの学園に来たのではない。
山田先生と土井先生の強い勧めがあり、半ば強制的に入れられたのだった。
山田先生は神妙な面持ちで口を開いた。
「……確かにそうかもしれん。だがな、。逃げてばかりでは何一つ前には進めん。―――ここには、お前が前に進んで行くのに“必要なもの”がある。」
「……それは忍として、ですか?」
「それだけではない。お前が嫌だと言うならば、忍の世界に戻らなくてもよい。だから生徒として編入させなかった。」
私は黙った。
しばらくして、荷物を持ち静かに立ち上がる。障子を開けると、今まで口を閉じていた土井先生が呼び止めた。
「…………私には、あなた方の趣意が読めません。」
そう言葉を残し、部屋から出て障子を閉めた。
「今はまだ解らずともよい。……いずれ解るさ。」
去り際に部屋の中から山田先生の言葉が耳に届いた。
「やはり、まだ早すぎたでしょうか。」
「……いいや。これでいいのだ。この忍術学園での生活の中で、徐々に傷を癒していけばいい。あの子はまだやり直せる。」
部屋に残された二人の会話は、私には聞こえていなかった。
翌朝、まだ日が完全に上りきっていない曙。
障子ごしにうっすら差し込む光を感じて目が覚めた。
布団をめくると、体に沿うように短刀が置かれていた。私が寝る前に仕込んだものだ。
四つの時…忍の世界に落ちてから、安心して眠れた夜などない。
これはわたしの習慣だった。
職員用の黒の忍装束に着替え、手ぬぐいを持って外に出た。
まだ肌寒い。
さて。顔を洗いに出て来たのだが…井戸はどこだっただろうか。
たしか、くのいちの敷地内にも女子専用の井戸があると聞いたのだが、場所を聞き忘れていた。
長屋の端にある簡易調理場でもいいのだが…まあいい。
菜園や虫倉の様子見がてら、食堂裏の共用井戸を使わせてもらおう。
「……あれは。」
井戸には先客がいた。
豪快に水しぶきを飛び散らしながら顔を洗っている。
その人物が着ている装束の色が木賊色である事に、私は思わず頬をひきつらせた。
昨日の騒動であの色はトラウマになりかけている。
顔を洗い終え手ぬぐいで顔を拭き終わると、その生徒はこちらに気付いたようだ。
「お前は……。」
……あの目元の隈は見覚えがある。
確か、会計委員会委員長で…七松先輩が“潮江文次郎”と呼んでいた6年生の生徒だ。
「おはよう、ございます。」
「ああ。おはよう。」
挨拶をすると彼も返して場所をあけてくれた。
私は井戸の前に立ち、中身の少ない桶を中に下ろした。
「随分と早いな。初日で眠れなかったか。」
「あ……。」
潮江先輩は話しながら私から縄を取ると、変わりに桶を引き上げてくれた。
お礼を言うのと会話の返事をするのと、どっちを先に言おうか迷って結局先にお礼を言った。
潮江先輩は「構わん。」と短く返した。
「…元々朝は早いんです。潮江先輩こそ、いつもこんな時間に?」
「毎日ではないが、よくこの時間に起きて体を鍛えているんだ。お陰で周りには鍛錬馬鹿と呼ばれている。………って、俺の名前を知っていたのか。」
「昨日、七松先輩がそう呼ばれていたのを覚えていて。……あってますよね?」
「あ、ああ。…よく覚えているな。」
潮江先輩は関心したように言った。
水いっぱいの桶から手で水を掬い顔を洗う。
二、三度繰り返した後、最後に口の中をゆすいで手ぬぐいを顔にあてた。
「そうだ、。」
「はい?」
「今日の放課後、中庭に来い。会計委員会の見学をしてもらう。」
「……結局本当にやるんですか。」
「勿論だ。」
潮江先輩が胸を張ってそうはっきりと言うものだから、なんだかもういいやと心が折れた。
「じゃあ、俺は部屋に戻る。くれぐれも忘れるなよ。」
「…必ず行きます。」
私が苦笑して答えると、潮江先輩は満足そうに頷いて自室へと戻って行った。
…見学だけだし、別にそれくらいいいだろう。
赴任してきて早々面倒な事になったなあ…なんて、心の中でため息を吐いた。
そして、その日の放課後。
私は言われたとおり中庭に来ていた。
まだ授業終了の鐘がなったばっかりなので、さすがに誰も来ていない。
そういえば何故中庭なのだろう。
会計委員会とはつまり、帳簿をつけたりお金の振り分けをする委員会ではないのだろうか。
だとすれば屋内で活動するのでは?
まさか青空の下で帳簿付けとか……。
「そんなわけないか。」
頭に浮かんだ光景に自分でも笑ってしまった。
―――と、そんな事をしていると誰かがこちらにやって来た。
梅紫色の忍装束で、狐色の長い髪の生徒。…おそらく四年生だ。
彼は私の存在に気付くと立ち止まった。
「…あなたは、毒物管理員の。」
「。……君は会計委員会?」
「え、ええ。そうですが……うちに何か?」
「委員長から委員会見学の招待を受けたの。…と、いうことだからよろしくね。」
「そうでしたか。私は4年ろ組の田村三木ヱ門です。」
「同い年でしょう?改まらなくていいわ。」
「ああ、そう、か。…そうだな。」
三木ヱ門はちょっと戸惑いながら頬を指でかいた。
やや生真面目で人見知り…といったところだろうか。私はそんな印象を受けた。
「田村先輩!」
「遅くなりました!」
そこへ、水色に井桁模様の忍装束の生徒が二人慌ててやって来た。
井桁模様は一年生だ。
一年生の二人は私を見るなり、「あ!」と声を上げた。
「新しい職員の先生!」
「初めまして!一年は組の加藤団蔵です!」
「一年い組の任暁左吉です!」
「よろしくね。団蔵君と、佐吉君。……でも私は教員ではないから、先生じゃなくて……そうね、“さん”で呼んでほしいかな。」
私がそう言うと、二人は元気よく返事をした。
「さん、もしかして会計員会に入られるんですか?」
「いやあ…そういうわけじゃ……まあ、その……一応今日は見学しに来てるんだけど…入るかは……。」
「頑張りましょう!さん!」
「最初は凄く辛いけど、でもやってることは自分の為になりますから!」
「……う、うん。」
やけに下級生も熱が入っているなあ。
普通、計算なんかはこのくらいの歳の子には苦痛で仕方ないと思うのだけれど。
勉強熱心なのだろうか。…まあそれはいい事だ。
が、妙に気になる。このテンション。
まるで瞳は炎が宿っているかのようだ。
そんな私の考えを察したのか、三木ヱ門が耳打ちをしてきた。
「実はこの委員会―――」
「おお、全員揃っているな。」
三木ヱ門が喋ったのと同時に、委員長の潮江文次郎の声がした。
手には縄。その先には萌黄色の忍装束の生徒が縛られている。
その生徒を引きずるようにしながら潮江先輩は私たちの前までやって来た。
「えーっと、繋がれてるのは?」
「三年ろ組の神崎左門。…決断力のある極度の方向音痴だから、ああでもしないと集合場所にも来れないんだ。」
三木ヱ門が苦笑しながら教えてくれた。
「今日の委員会は、そこにいるにも見学がてら参加してもらう。引き締めていくぞー!」
「おー!」
「お……おー。」
「ではまず、十キロ算盤持って校庭百周!!」
「………はい?」
私は思わず聞き返した。
が、他の四人は驚きもせずに「はい。」と返事をした。
「三木ヱ門、私の聞き間違えかしら。」
「いいや。……これが恒例なんだ。」
「会計委員会よね?」
「ああ。でも、うちは戦う会計委員会だから……。」
「戦う…?」
「ほれ、。これはお前の分だ。」
「…ちょ――――」
潮江先輩が何か四角い物を投げてよこした。
それを受け取り、予想外の重さに思わず落としそうになった。
なんだこれは…………鉄製の算盤だ。
「頭上に抱えて百周!行くぞ!!」
潮江先輩はそう言って走り出した。
左門、団蔵、佐吉の順に他も走り出したので、私も仕方なく走った。
その後を三木ヱ門が走る。
「……いい運動だと思って、やりますか。」
そういえば最近は運動不足だったから…これも良い機会だと自分に言い聞かせ、私は走った。
校庭百周。
1km匍匐前進。
空が赤く染まり、そろそろ紺色に塗り替えられるという頃。
・・・やりとげた。
「よーし、ではこれで一旦切り上げる。夕食後、戌の刻の鐘が鳴ったら委員会室で帳簿付けを行う。以上、解散。」
これからが本番という事か。
周囲が潮江先輩を鍛錬馬鹿と呼ぶ理由がよくわかった。そして戦う会計委員会というのも。
下級生は疲れて果てて地面に寝そべり、四年生の三木ヱ門もだいぶ疲れた様子で座り込んでいる。
だが委員長は少し息が荒い程度で、まだまだ動けそうな様子だ。そこは鍛錬馬鹿、さすがである。
「意外と体力はあるようだな。」
潮江先輩は私に言った。
実は私も、まだまだ余力があった。さすがに十キロ算盤を持ち上げるのに腕はきつかったが、走る方ではまだまだいける。
里忍時代の鍛錬の賜物だ。
「元忍だと聞いていたから、それなりに実力はあるとは思っていたが…想像以上だ。」
「いえ、そんな事は……元忍と言っても実戦経験の少ない平忍者ですよ。」
「謙遜するな。流派はどこだ?」
「…………小規模の流派でしたから。名を言ってもご存じないと思います。」
「そうか。」
潮江先輩はそれ以上聞いてはこなかった。
忍としてのマナーも心得ている、か。
「よし。俺は飯を食いに行く。一緒に来る奴はいるか?」
「行きます!」
「僕も!」
「自分も行きます!」
一年生と左門が手を上げた。
「と三木ヱ門はどうする。」
「私は菜園に行きたいので、後から行きます。」
「私も、ゆり子の様子を見に行きたいので…。」
「そうか。では、戌の刻に委員会室でな。」
潮江先輩は後輩三人を引き連れて、食堂へと向かって行った。
なんだかんだで面倒見のいいところもあるようだし、彼は良い先輩なのだろう。
ただ、少し熱いだけで。
「菜園は武器庫の裏だから、途中まで一緒に行くか。」
「ああ、うん。」
立ち上がった三木ヱ門はそう言った。
……ゆり子という人物に会いに行くという様な事を言っていた気がするのだが。
「武器庫に行くの?」
「ああ。ゆり子はそこにいるから。」
「ゆり子?」
「私の大事なパートナーだ。」
三木ヱ門は目を輝かせて言った。
そういえば彼は結構な色男だし、そういう女性がいてもおかしくはない。
この忍術学園にも色恋沙汰はあるのか。
火薬庫の前まで来た。
が、そこに人影は無かった。
「来てないみたいね。」
「いや、中に居る。」
「なか?」
「ああ。…そうだ。、ゆり子に会っていくか。」
「それは…構わない、けど。」
三木ヱ門は武器庫の錠を開ける。
鍵のかかった武器庫に人がいるのだろうか。…もし居たら私は三木ヱ門の性癖を疑う。
「ゆり子、来たぞ。」
三木ヱ門は薄暗い武器庫の中へと入っていった。
そしてしばらくして、手に縄を持って出てきた。
「紹介します。ゆり子です。」
くい、と引っ張るとカラカラと滑車の音と共にゆり子が暗闇の中から現れた。
私はその姿を見て思わず固まった。
「……石火矢?」
縄につながれているのは、まぎれもなく石火矢だった。
だがその咆口の下にはゆり子と書かれた表札が掛けられている。
「ゆり子、さん?」
「ゆり子だ。」
あまりにそうはっきり言うものだから、私は思わず笑ってしまった。
「な、なんで笑うんだッ!」
「だって私…てっきり“人”だと思っていたから。」
私がまた笑い出すと、三木ヱ門は顔を赤くして恥ずかしそうに顔を伏せた。
「人に会うのに武器庫に来るわけ無いなろう!」
「そ、そうだけど…あははは。変だな、とは途中から思ったけど、まさかゆり子が火器だとは思わなかった。」
「ッ。…わ…私は…過激な火器が好きなのだ。」
どうやら少し拗ねてしまったようだ。
私は少し悪い事をしたかな、と笑いを引っ込めて反省する。
「ご、ごめんなさい。私、武器をそういう風に見たことなかったから。」
「……いいさ。それが普通だよ。」
愛しそうにゆり子を撫でる三木ヱ門。
でもやっぱりその光景は、私には不思議だった。
「火器は何度も使っているうちに愛着が湧く。」
「愛着?」
「火器はいい子だ。素直だし、役に立つし、文句を言わないし、なにより何も考えない。…最高のパートナーだよ。」
三木ヱ門は武器庫の隅から布切れを持ってきて、ゆり子の体を丁寧に磨き始めた。
「………ちょっと、その気持ちはわかるかも。」
私の言葉に、三木ヱ門はすこし驚いたような顔をした。
「なに?」
「いや、共感されるとは思ってなくて。」
「どうして。」
「私は、周りからはそういうところを武器オタクって言われてから。」
「武器オタクかあ……。」
私は武器庫の中に入り、保管されている火器を見回す。
立てかけられている火縄銃を見つけると、おもむろにそれを手に取った。
「?」
「私、火縄銃はわりと上手いのよ。里に種子島出身の名手がいてね。……腕力が無いってしょっちゅう叱られてたけど。センスはあるって。」
久しぶりに構えてみる。
ずっしりとした重さが手にしっくりくる。昔は重くて狙いを定める事すらできなかった。
「やっぱり、相棒と呼ぶには従順で何も考えない武器が一番勝手がいいのよね。」
私はどこか遠くを見るような目で、独り言のように言った。
三木ヱ門は首を傾げている。
「それって―――」
「好きよ、私。」
戸惑いながらも何かを喋りかけたが、私はその言葉を遮った。
明るい表情に切り替えた。話も一緒に切り替える。
「何かに一途っていいわよね。私は好き。」
少し、強引だったかもしれない。
でも今の言葉は嘘ではない。そう思ったのは確かだ。
火縄銃を置いて三木ヱ門を見ると、なんだか面白い顔をしていた。
驚いているのか、照れているのか、それとも違う感情なのかよくわからない。
「お……」
「ん?」
「お前は…変わった奴だな。」
三木ヱ門は笑った。
……変わった奴、か。
そう言われたのは初めてだ。
「三木ヱ門に言われちゃうか。」
私も笑った。
「じゃあ、私は菜園に行くから。」
「あ、そうか。―――――待った!」
武器庫を出ようとしたところで、三木ヱ門が呼び止めた。
「なにか手伝う事があれば手伝う。」
「え?」
「だからその後、夕飯・・・・・・一緒に食堂行かないか?」
三木ヱ門はゆりこを元の場所に戻して言った。
「・・・・・いいよ。様子見るだけだから、すぐに行ける。」
「そうか。」
今日はAランチが天ぷら定食なんだとか、食堂のカレーは激辛まであるんだとか、
菜園まで肩を並べて話す三木ヱ門はさっきよりも明るくて。
初めて会った時とはまるで別人のようだった。